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十大発明家

はじめに

我が国の工業所有権制度は、昭和60年4月18日をもって創設以来百周年を迎えました。この間、本制度は技術開発を促進する基盤的制度として我が国の産業の発展に重要な役割を果たしてきました。現在まで、我が国では約250万件もの特許権や実用新案権が生まれてきました。この膨大な発明・考案の中には我が国のみならず世界の経済の発展に大きく寄与したものも数少なくありません。

そこで、工業所有権制度が百周年を迎えたのを機に、これら発明・考案をした歴史的な発明者の中から永久にその功績をたたえるのにふさわしい方々を選定し、顕彰することにいたしました。選定は、茅誠司東京大学名誉教授をはじめとする学識経験者にお願いいたしました。選ばれた10名の方々につきましては、レリーフを作製し広く国民に紹介していきます。これによって、顕彰者をその功績とともに永久にたたえると同時に、現在技術開発にあたっている技術者、研究者の励みともなり、もってこの顕彰が我が国の技術開発の推進に役立つことを期待するものです。

昭和60年4月18日

豊田 佐吉

豊田佐吉

特許第1195号

木製人力織機

豊田佐吉は、慶応3年(1867)遠江国(現在の静岡県)に生まれた。

彼が18歳のとき、専売特許条例が公布された。以前から国家のことを思い国家に尽くそうとみえていた彼は、この話を聞き「発明を生涯の仕事としよう」と決心し、織機等の改良に取り組み始めた。明治23年、東京上野で開催された第3回内国勧業博覧会に出展された機械のほとんどが外国製であったのをみて、ますます国産機械の研究開発への意欲を高めた。

彼は当時広く使われていたバッタン織機の生産性と製品の品質の大幅な向上を計った木製人力織機を完成し、最初の特許権を得た(特許第1195号、明治24年)。

明治27年には、取扱いが簡単で能率のよい糸繰返機(かせくりき)を発明し、その商業的成功を背景に、彼は、動力で織る織機の開発を進め、3年後、木製動力織機を完成し、翌年、特許権を得た。我が国初の動力で織る機械の誕生であった。その後も織機に関する開発を続け、明治36年に緯糸(よこいと)を自動的に補充する画期的な自動杼換装置を完成した。これが自動織機の最初の発明であった。その後も、自動織機の改良を続け、彼が得た特許権は84件、実用新案権は35件にも達した。明治45年藍綬褒章を、昭和2年には勲三等瑞宝章を受けた。昭和5年(1930)没。

豊田佐吉の代表的発明品(木製人力織機、自動織機)(PDF340KB)

御木本 幸吉

御木本幸吉

特許第2670号

養殖真珠

御木本幸吉は、安政5年(1858)志摩国(現在の三重県)に生まれた。進取の気性に満ちた彼は、一業を立てたいと志し明治11年に上京した。この時、横浜で真珠の売買を見学したことが、彼と真珠とのかかわりの最初であった。彼は、真珠貝を採るため、明治21年に英虞湾でその養殖を始め、明治23年には上野で開催された第3回内国勧業博覧会に真珠、アコヤ貝、真珠入り物品等を出展した。彼はこのころ真珠そのものの養殖をしたいと考えており、この博覧会において、出展物の審査官であった箕作佳吉東京帝国大学教授から真珠は人工養殖できるかもしれないと言われたことが、彼のその後の進路を決定的なものとした。同年、彼は真珠養殖の研究に取り掛かり、4年間の研究の末、明治26年、養殖したアコヤ貝の穀の内面にコブのような半円形の養殖真珠を造り出すことに成功し、最初の特許権を得た(特許第2670号、明治29年)。この半円形養殖真珠は、通常いわれている真珠とやや趣きが異なるものの、装身装飾の具として世の中に広く受け入れられた。その後も彼は、円形真珠を人工養殖で造るための研究を続け、明治41年に真珠素質被着法の特許権を得た。この発明をきっかけとして日本の真珠養殖業は飛躍を遂げ、一つの産業として成長した。このほかにも彼は、真珠稚貝の養殖に関する発明等によって多数の特許権を得た。昭和29年勲一等瑞宝章を受けた。昭和29年(1954)没。

御木本幸吉の代表的発明(養殖真珠)(PDF334KB)

高峰 譲吉

高峰譲吉

特許第4785号

アドレナリン

高峰譲吉は、安政元年(1854)越中国(現在の富山県)に生まれた。明治12年、工部大学(現在の東京大学工学部)応用化学科を卒業し、翌年イギリスに留学、帰国後、明治16年、農商務省に入った。特許制度に関心のあった彼は、アメリカ出張の際にワシントンに立ち寄り、特許制度を調査したところ、これが後に高橋是清専売特許局長に認められ、明治19年、専売特許局次長に任命された。一方、彼は農商務省に在職中、醸造、和紙、製藍等の研究も幅広く行っており、明治21年に農商務省を退職した後は研究等に没頭した。

明治23年には、元麹とこれを使った醸造法の改良に成功し、特許権を得た。この醸造法が、アメリカのアルコール製造会社に採用されたことをきっかけに渡米し、同地で消化剤であるジアスターゼの製造方法を発明し、多数の特許権を得た。当時、副賢皮質ホルモンであるアドレナリンの作用効果についての研究が世界各地で行われ、その効用については明らかになりつつあったが、これを臨床的に使用するためには純粋な形での分離が必要であった。

彼は、アメリカの製薬会社からこのアドレナリン抽出の依頼を受け空気圧を減圧することによって溶液の温度を上げずに溶媒を除去することを考え出すなど、幾つかの独創的な方法で結晶分離による純粋なアドレナリンの製法を発明し、特許権を得た(特許第4785号、明治34年)。

この発明は、ホルモンの最初の結晶化であり、医療上なくてはならない常用医薬の製造に寄与する業績として高く評価されている。大正11年勲三等瑞宝章を受けた。大正11年(1922)没。

高峰譲吉の代表的発明(タカヂアスターゼ、アドレナリン)(PDF70KB)

池田 菊苗

池田菊苗

特許第14805号

グルタミン酸ソーダ

池田菊苗は、元治元年(1864)京都に生まれた。明治22年東京帝国大学理科大学化学科を卒業し、明治32年から2年間、ドイツに留学した。帰国後、明治34年に東京帝国大学教授に就任した。彼は、専門の物理化学の研究を行うとともに日本人の生活の改善と社会の進歩に直結するような応用研究に関心を持ち様々の研究を行ったが、この中に昆布のうまみの研究があった。彼は、昆布のうまみの成分を解明すれば調味料として工業的に生産できるのではないかと考え、研究を続けた結果うまみの成分がグルタミン酸ソーダであることを突き止め、これを主要成分とする調味料の製造方法を発明し、特許権を得た(特許第14805号、明治41年)。

グルタミン酸ソーダは、彼の働きかけによって商品化され、調味料として広く売り出された。このグルタミン酸ソーダは、品質が安定しており食物に独特のうまみを与えるため、食品添加物として広く普及し日本人の食生活を豊かにした。また、海外にも調味料として広く受け入れられた。彼は、大正12年に東京帝国大学を退官した後もグルタミン酸ソーダ製造技術の完成に熱意を注ぎ、主として甜菜糖の廃液を原料としたグルタミン酸ソーダの製造法の研究に従事した。昭和11年(1936)没。

池田菊苗の代表的発明(グルタミン酸ナトリウム)(PDF334KB)

鈴木 梅太郎

鈴木梅太郎

特許第20785号

ビタミンB1

鈴木梅太郎は、明治7年(1874)静岡県に生まれた。東京帝国大学農科大学農芸化学科を卒業し、大学院に進み、明治34年に農学博士の学位を得た。同年、スイス、次いでドイツに留学し、有機化学を学んだ。明治39年に帰国し、翌40年、東京帝国大学農科大学の教授となった。当時、日本では陸海軍の兵士に脚気患者が多く、また、地方から上京した者が多数脚気にかかり、そのため死亡する者も少なくなかった。政府は臨時脚気調査会を設置して、その対策を考えねばならない情勢であった。そこで彼は、この問題を解決するため研究に着手し、米糠中に脚気を治癒する成分のあることを実験的に確認し、この有効な成分が「アベリ酸」(今日のビタミンB1)であることを解明、また米糠中から「アベリ酸」の分離に成功し、特許権を得た(特許第20785号、明治44年)。

この物質が世界で最初に抽出されたビタミンである。また彼は「アベリ酸」が不可欠の栄養素であることを動物実験により証明し、今日のビタミン学の基礎を確立した。昭和18年には文化勲章、勲一等瑞宝章を受けた。昭和18年(1943)没。

鈴木梅太郎の代表的発明(ビタミンB1、ビタミンA)(PDF334KB)

杉本 京太

杉本京太

特許第27877号

邦文タイプライター

杉本京太は、明治15年(1882)岡山県に生まれた。通信技術者を志し、大阪市電信技術者養成所に入り、明治33年同養成所を修了した。当時、欧米諸国においては既にタイプライターが出現しており、ペンによる手書はあまり用いないようになっていたが我が国では実用的な邦文タイプライターの開発はされていなかった。もし、これが開発されたならば、欧米文字に比べて複雑で難しい漢字を使う我が国では、一層の恩恵を受けることとなるので、その出現が待ち望まれていた。彼は、同養成所を修了後、活版技術関係の仕事に従事し、続いて邦文タイプライターの研究に着手した。当時の邦文タイプライターは、円筒表面あるいは孤形面に活字を並べたもので活字数も少なかった。彼は、左右に移動する活字庫、前後に移動する印字部及び円筒型の紙片保持具によって構成する独創的な機構をもつ邦文タイプライターを発明し、特許権を得た(特許第27877号、大正4年)。

この発明は、現在の邦文タイプライターの基礎となる画期的なもので、邦文による書類作成事務の能率化に大きく貢献をした。昭和28年には藍綬褒章を、さらに昭和40年には勲四等旭日小綬章を受けた。昭和47年(1972)没。

杉本京太の代表的発明(邦文タイプライター)(PDF334KB)

本多 光太郎

本多光太郎

特許第32234号

KS鋼

本多光太郎は、明治3年(1870)愛知県に生まれた。明治27年、東京帝国大学理科大学物理学科に入学、物理学者長岡半太郎教授から磁気実験の指導を受けたことが鉄鋼学者を志す動機となった。明治30年、同大学を卒業し、大学院で研究生活に入り理学博士の学位を得た。明治40年、ドイツに留学し、帰国後、東北帝国大学理科大学の開設とともに教授となった。第一次世界大戦が勃発すると磁石鋼の輪入が途絶したため、我が国はこれを自給する必要に迫られた。彼は強力な磁石鋼の開発に取り組み、従来のタングステン鋼と比べて抗磁力が3倍と非常に強く焼入硬化型の永久磁石鋼としては最強の抗磁力を有するKS鋼を発明し、特許権を得た(特許第32234号、大正7年)。

KSの名はこの磁石が住友吉左衛門の寄付によって完成されたのでその頭文字を採ったものである。さらに、昭和8年、当初のKS鋼の数倍の抗磁力をもつ世界一強力な永久磁石合金である新KS鋼(NKS鋼)を発明し、特許権を得た。昭和6年、東北帝国大学総長に就任し、9年間務めた後、東京理科大学学長も務めた。昭和12年に文化勲章、昭和29年には勲一等旭日大綬章を受けた。昭和29年(1954)没。

本多光太郎の代表的発明(KS鋼、新KS鋼)(PDF335KB)

八木 秀次

八木秀次

特許第69115号

八木アンテナ

八木秀次は、明治19年(1886)大阪府に生まれた。明治42年、東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、その後、大正2年からイギリス、アメリカ、ドイツに留学し、ドイツでは無線通信用の連続した電波の発生の研究を行い、大正5年に帰国した。この留学生活で無線学が彼の生涯の研究テーマになった。大正8年には東北帝国大学工学部設立とともに教授となり、同年、工学博士の学位を得た。彼は、将来短波あるいは超短波による通信が主力となることを予見し、その研究と指導に意を注ぎ、大正14年、「短波長電波の発生」、「短波長による固有波長の測定」等の論文を発表した。これらの発表された理論に基づき、いわゆる八木アンテナの基本となる「電波指向方式」を発明し、特許権を得た(特許第69115号、大正15年)。

この発明は、極めて簡単な構成で電波の指向性通信を、可能にしたもので、今日の超短波、極超短波で使用されているほとんどすべてのアンテナ系はこの方式によって構成されている。昭和17年、東京工業大学学長に、昭和19年には技術院総裁に就任、昭和21年大阪帝国大学総長となった。昭和26年藍綬褒章、昭和31年文化勲章、昭和51年勲一等旭日大綬章を受けた。昭和51年(1976)没。

八木秀次の代表的発明(八木アンテナ)(PDF335KB)

丹羽 保次郎

丹羽保次郎

特許第84722号

写真電送方式

丹羽保次郎は、明治26年(1893)三重県に生まれた。大正5年、東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業し、逓信省電気試験所に入った。電気試験所における彼の活躍は民間の有力者の認めるところとなり、彼は逓信省を辞し民間会社に入社した。当時我が国の電気技術は、欧米からの技術導入が中心であった。彼は、我が国独自の研究開発の必要性を感じて、大正13年欧米の実状を視察し帰国後、写真電送の研究に取り組み、有線写真電送装置を発明し、特許権を得た(特許第84722号、昭和4年)。

この写真電送装置は取扱いが簡単であるばかりでなく、完全に写真が再生できるもので、我が国初の写真電送装置として、昭和天皇の即位式のニュース写真の電送に用いられ、優れた成績を上げた。この成功は、その独創性や実用性において我が国の電気通信界に大きな刺激を与えた。彼は、有線写真電送を完成させるとすぐに無線写真電送の研究に着手し、昭和4年、東京-伊東間で我が国初の長距離無線写真電送の実験に成功した。昭和24年、東京電機大学学長に就任、昭和34年文化勲章、昭和46年には勲一等瑞章を受けた。昭和50年(1975)没。

丹羽保次郎の代表的発明(写真電送方式)(PDF336KB)

三島 徳七

三島徳七

特許第96371号

MK磁石鋼

三島徳七は、明治26年(1893)兵庫県に生まれた。東京帝国大学工学部鉄冶金学科に進み、大正9年、卒業した。卒業後は研究室に残り冶金学の研究に専念したが、磁石鋼の磁石の理論的解明を進めている際、無磁性のニッケル鋼にアルミニウムを添加すると磁性を回復することを発見した。この研究を進め、ついに残留磁気及び抗磁力が高く、従来の焼入れ型と違って析出硬化型のため安定度が優れ、磁性の温度変化及び経年変化が小さいMK磁石鋼を発明し、特許権を得た(特許第96371号、昭和7年)。

この磁石鋼は永久磁石史上革命的なもので、現在広く用いられているアルニコ磁石の基本となったものである。MK磁石鋼は、それまでの磁石に比べはるかに廉価であり、発電機、通信機、ラジオ等のスピーカーなど民生機器及び産業機器用等の磁石として広く使われるなど、その後の技術進歩に大きく貢献した。なお、MK磁石鋼の名は、彼の養家である三島家と生家である喜住家の頭文字を採って命名されたものである。昭和13年には、東京帝国大学教授となった。昭和25年藍綬褒章、文化勲章、昭和50年勲一等旭日大綬章を受けた。昭和50年(1975)没。

三島徳七の代表的発明(MK鋼)(PDF338KB)

工業所有権制度百周年記念行事委員会

  • 委員長 村田敬次郎通商産業大臣
  • 委員 下邨昭三科学技術事務次官
  • 委員 稲山嘉寛(社)経済団体連合会会長、AIPPI日本部会会長
  • 委員 井深大(社)発明協会会長
  • 委員 長村貞一(財)日本特許情報センター会長
  • 委員 鈴木治雄日本特許協会会長
  • 委員 鈴木正次弁理士会会長
  • 委員 志賀学特許庁長官

上記委員会は、工業所有権制度百周年を記念して各種の記念行事を行うために設置されたものです。

[更新日 2011年2月10日]

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