4.2 耐震構造・免震構造・制振構造の歴史

 日本における「耐震構造」の概念は先述したように19世紀末にさかのぼる。明治以降の建築技術の改良は伝統的な木造家屋の不燃化に主眼が置かれ、その手段として欧米の煉瓦造・石造の導入が盛んに行われた。しかしながら濃尾大地震・関東大震災では木造のみならずこれらの不燃構造は多くの被害を受け、これら欧米で一般的な構造形式が地震に対しては脆弱であることが明らかになった。これを受け1892年には震災予防調査会が発足、1914年には佐野利器により「家屋耐震構造論」が発表され、わが国独自の耐震構造の概念が一般化することになった。同論では地震外力は建物自重に比例した水平力でほぼ説明できることが示され、震度法による設計が提案された。1922年には内藤多仲による「架構建築耐震構造論」が発表され、同博士設計の耐震壁付きの鉄筋コンクリートによるラーメン構造が関東大震災でほとんど無被害であったことから、以降の日本における構造設計の主流となった。以降、1960年代の超高層の登場に至るまで、耐震構造は耐震壁またはブレースなどの耐震要素で水平方向に補強されたラーメン構造(柱梁剛接合フレーム)とほぼ同義であったといえる。これらの構造は地震荷重に対し剛性・耐力を上げ抵抗することから、「剛構造」とも呼ばれる。

 一方、構造またはその足元を柔らかくすることによって地震の入力そのものを低減できるのではないかという発想は古くからあった。家屋の下に車輪を設けて転がるようにすれば、水平力を回避できることは自明であり、こういった発想から建物の足元を水平剛性の低い支承で絶縁する「免震構法」特許が関東大震災の前後に幾つか出願されている(図4.2-1)。こういった設計思想を「剛構造」に対し「柔構造」と呼んだ。

図4.2-1 大正時代の免震構造特許

 どちらの設計法が優れているかについては活発な論争が展開されたが(柔剛論争)、当時は建物の動的性状が地震入力に与える影響が明確に把握されていなかったことや、支持力・変形能力に優れ、剛性の低い実用的な免震支承が存在しなかったこともあって、これらの提案はその効果を証明することができず、主流となること無く市井のアイデアとして忘れ去られた。

 しかし、1970年代にはいると高層ビルに対する世の中のニーズと、コンピュータによる動的解析というツールが一致し、建物を柔らかく長周期に設計することによって地震入力を減らした柔構造設計法が確立され、多くの高層建物が同構法で設計されるようになった。また、架構の塑性化を許容し、その塑性エネルギーによって大地震時の入力に対処する弾塑性設計法が確立され、1981年に新耐震設計基準として法制化された。この設計思想は主架構の梁・柱そのものを弾塑性ダンパとして利用する考え方とも言える。同時に足りないエネルギー分を補填するため、安定した弾塑性変形能力を有する耐震要素が多く開発され、これらが現在の制振部材の母体となっている。一方、1980年代に入ると安定した支持能力・鉛直剛性を持ち、水平方向には剛性が低く変形能力の高い積層ゴム支承がニュージーランドで実用化され、米国西海岸で数棟の免震構造が建設されるようになった。これを受けて日本でも免震構造に関する活発な技術開発競争が坦懐され、現在では500棟を超える免震建物が建設されている。

 一方、免震構造は比較的低層の建物に適した構法であり、高層建物には有効でなかったことから、高層建物やタワーなどに付いては主構造内に各種の制振部材・ダンパを組み込んでエネルギー吸収を図る「制振構造」が開発された。中にはダンパをコンピュータ制御されたアクチュエータで能動的に制御し、揺れを最小限に抑えようとする「アクティブ制振」も実用化された。ただし、巨大な質量を持つ建造物を能動的に制御するためには莫大な電力エネルギーが必要であり、現在実用化されている制振技術はパッシブなものが主流となっている。