2.9 代表的特許の技術開発課題と解決策

2.9.1 インスリン

 インスリンの発明課題にはどのようなものがあり、どのような発明考案によって解決が図られているかをまとめた。その結果を図2.9.1-1および図2.9.1-2の課題解決図を用いて説明する。

技術課題1および解決法1(図2.9.1-1):

 ヒト型アミノ酸配列を有するインスリンの製造方法の開発は、大別すると2つの技術的方向からの開発が進められた。1つは組換えDNA技術の応用、もう1つは酵素を利用する技術である。結果的には両者が相補う形でインスリン製造技術は発展している。

 インスリンの場合、細菌(主に大腸菌)を用いる遺伝子工学による製造技術と酵母を用いる技術がそれぞれ発展してきている。大腸菌では1973年、酵母では79年に外来遺伝子の人工的導入とその発現が可能であることが初めて報告され、有用タンパク質の生産にこれらの微生物が使える可能性が示された。そして、この分野の研究が加速された結果、大腸菌では77年、酵母では83年にはヒトインスリン製造への応用の特許が出願されている(特許2694840、ジェネンテック社;特許2511251、カイロン社)。組換えDNA技術で小さなポリペプチドを大腸菌などで生産する場合、収率が極めて低いという問題が存在していたが、この問題を解決するためにジェネンテック社(米国)の特許2694840では、小ペプチドの遺伝子を安定なタンパク質の遺伝子とつなぎ合わせ、融合タンパク質の形で生産させる方法を開発している。この特許技術の場合、遺伝子工学によって生産した融合タンパク質を化学薬品で分解し、インスリンのA鎖とB鎖を得ている。

 酵素の利用技術としては、融合タンパク質から小ペプチドを切断したり、アミノ酸を置き換える技術がある。タンパク質を切断する方法には特公昭62-44920(シェーリング社)、特公平6-30613(ノボ ノルディスク社)、特許2592981(イーライ リリー社)などが権利化されている。またアミノ酸を置き換える技術を用いれば、ブタのインスリンからヒトのインスリンを作り出すことができる。ヒトとブタのインスリンではB鎖のカルボキシル側末端に相当する30位のアミノ酸1カ所のみが異なっている。そこで酵素によるエステル交換反応によって変換する方法が権利化され、実用化された(特公平1-41317、ヘキスト社)。

技術課題2および解決法2(図2.9.1-2):

 投与後の効果を持続させる、あるいは従来よりもさらに速効性にするといったインスリンの作用を自在に制御することが技術課題となった。

 効果を持続させるためには、結晶にして投与する方法が従来行われていた。結晶にすると皮下注射してから溶け出すまでに時間がかかるので、持続性となる。結晶化とは異なる方法として、塩基性アミノ酸をインスリンB鎖のC末端に結合させる方法やアミノ酸を天然型とは異なるものに置き換えた誘導体が開発されている(特公平6-96597、特許2680145ヘキスト社)。

 従来のインスリン(ヒト天然型、動物由来)は、注射した後に効果が得られるまでに時間がかかる。速効型といわれる既存の製剤であっても、食後の血糖上昇の調節をうまく行うためには、食事の数十分前に注射を行う必要がある。注射した後、事情によって食事を取れなくなった場合には、低血糖になるので注意が必要である。インスリンの効果がすぐ現れない原因の1つは、インスリン分子には自己会合する性質があるためと考えられており、この問題の解決を目指してアミノ酸を置き換えて自己会合を起こしにくくした誘導体が開発されている(特公平8-22878、イーライ リリー社;特許2837956、ノボ ノルディスク社)。

技術課題3および解決法3(図2.9.1-2):

 注射以外の投与方法の開発が技術課題である。

 現在インスリンは注射として投与されている。薬剤を投与する上で注射は確実な方法であるが、苦痛のより少ない投与方法の開発は大きな発明課題である。特に長期にわたって薬剤が必要な慢性病では患者からの要望は極めて強いものがある。インスリンは多数のアミノ酸が結合したタンパク質様のポリペプチドであり、そのままを飲み薬とした場合には、食物タンパク質と同様に分解されてしまう。また、粘膜や皮膚などからの吸収は分子の大きさが大きいほど起こりにくい。しかし、黄体形成ホルモン放出ホルモン誘導体やカルシトニンのように、鼻の粘膜から吸収させるポリペプチドの医薬品が実用化に成功した例もある。インスリンはこれらペプチドよりも大きな分子ではあるが、酸を含有させることによって吸収性を高めた舌下錠・坐剤、あるいは分解酵素の阻害剤を含有させることによって腸吸収を可能にした製剤など多様な試みが重ねられ権利化されている(特公昭56-43443、花王;特公平2-31693、興和)。

 

図2.9.1-1 インスリンの製造方法に関する課題解決図(1/2)

図2.9.1-1 インスリンの製造方法に関する課題解決図(2/2)

図2.9.1-2 インスリンの製剤技術に関する課題解決図(1/2)

図2.9.1-2 インスリンの製剤技術に関する課題解決図(2/2)