特許行政年次報告書2018年度版
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~明治初期からの産業財産権制度の歩み~冒頭特集特許行政年次報告書2018年版iii特許行政年次報告書2018年版iii省内での審議を終え、太政官への上申、制度取調局での審議の後、参事院での審議が開始された。参事院においては、専売特許条例について異議を唱えている者がいることもあり、審議がかなり難航したようであるが、参事院議官であった森有礼に対して高橋是清が専売特許条例についての説明を行い、それを理解した森有礼による応援演説もあって通過を果たした。なお後の「特許法施行五十年記念会」での高橋是清の講演記録によると、この応援演説には、「この法は、我が国未曾有の新案にして而も国民の利益を生ずるためには甚だ必要なものである。」1といった趣旨の内容が含まれていたとされる。この後の元老院での審議も無事通過し、専売特許条例は、明治18年4月18日に布告、同年7月1日をもって施行された。そして、同様の時期に、専売特許所が新設され、高橋是清が同所長に就任した。なお、制度取調局での審議の際に、制度取調局長官の伊藤博文(後の初代総理大臣)から参事院福岡参議にあてて、本条例の施行は困難を伴うものであり、あらかじめ当事者を欧米に派遣して調査が必要である旨の意見が提出されている。この意見が後に高橋是清の欧米視察として実現することになる2。明治14年4月、農商務省が設立された。農商務省事務章程第5条の規則により、この省が特許及び商標の所管官庁として明確に位置づけられ、専売特許条例の制定作業が実施されることとなった。その際、上述のとおり、産業財産権の保護の調査を行い、その必要性を提唱していた高橋是清は、そのことをよく知る山岡次郎(農商務技師)による推薦もあって、農商務省へ入ってこの制定作業に従事することになった。~専売特許条例 制定の道のり~専売特許条例の制定作業にあたっては、諸外国の法規を参考としつつ、当時の我が国の状況を踏まえ修正すべき事項を盛り込む形で進められた。明治16年からの農商務省での省内審議、農商務省から太政官への上申、制度取調局での審議、参事院での審議、元老院での審議と進められていった。農商務省での審議では、工務・商務・農務の三局長から、条例案について国内の製造業や外国との関係を懸念する意見が出されたが、これに対して、高橋是清は、我が国の産業発展の促進等に言及した意見書を提出して反論するなどして、省内での審議を進めた。1 社団法人帝国発明協会内特許法施行五十年記念会編「特許法施行五十年紀念会報告」(社団法人帝国発明協会内特許法施行五十年記念会、1936年)、第10章第1節 高橋是清翁講演会、99頁2 この点に関して、高橋是清の自伝では、専売特許条例の布告とともに伊藤博文から農商務卿西郷従道に通牒があって、「この法律は今度始めて我が国に施行せらるる甚だむつかしいものであるから、よろしく主任者を欧米に派遣して取り調べをなさしむようにいたしたし。」といってきたとある(高橋是清「高橋是清自伝」(千倉書房、1936年)220-221頁)。専売特許所設置当時の職員(前から2列目中央に高橋是清)(特許庁編「工業所有権制度百年史 別巻」(社団法人発明協会、1985年)、66頁より)

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