特許行政年次報告書2018年度版
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特許行政年次報告書2018年版iv特許行政年次報告書2018年版iv~明治初期からの産業財産権制度の歩み~冒頭特集上申され、太政官、参事院及び元老院での審議を経て、商標条例として、明治17年6月7日に布告、同年10月1日をもって施行された。そして、同様の時期に、商標登録所が新設され、高橋是清が同所長に就任した。~意匠条例 制定の道のり~明治政府は、明治6年のウィーン万国博覧会への出展の経験等から、我が国の美術工芸品等が重要な輸出品となり得ることに着目し意匠保護の必要性を認識しており、明治9年から内務省にて、明治12年からは大蔵省にて、意匠の保護に関する条例草案の作成を開始していた。なお、大蔵省の草案作成には、上記した商標条例の草案作成にも携わっていた神鞭知常が中心として関与していたとされる。また、実際、次頁の図2のように、我が国から諸外国への美術工芸品等の輸出高は右肩上がりの状況となる。このような状況の中、上述のとおり欧米の産業財産権制度運用を視察した高橋是清は、意匠制度についての知見も深めていた。欧州では、京都の織物業者であり欧州にて注文をとっていた川島という人物から真正品と模倣品の見本を受け取り意匠保護の重要性についての説明を受けたとされる。明治19年の帰国後に提出された意見書の中では、「意匠保護ノ事」と題して、意匠保護の重要性などを述べている。これらの視察の実績を基に意匠条例が農商務省により立案された。その案に付された理由書には、粗製乱造を含めた当時の実情と意匠保護の必要性、そして、応用美術の思想の発達が結果的に工業を振興する旨等が訴えられていた。意匠条例案はその理由書を含め、明治20年に農商務省から内閣総理大臣へ提出された。その後、法制局での審議、元老院での審議を経て、意匠条例として、明治21年12月18日に公布され、翌年の明治22年2月1日をもって施行された。~商標条例 制定の道のり~少し時点が逆転するが、商標条例は、専売特許条例より1年弱前に公布及び施行された。先に述べたが、明治維新前、諸藩における領主専売制と幕府の株仲間政策が実施されており、それにより商標の保護が実質的には担保されていたが、明治政府の近代化・自由化政策の一環としてこれらの制度は廃止された。これにより、商品の粗製乱造や特産物の模造の例が相次ぐとともに、商標の偽造事件も続発するとの状況となっていた。したがって、これらに対処するため、商標の保護制度導入の検討が必要な状況であったといえる。商標条例の立案は、明治6年に設けられた内務省においてなされ、明治9年以降は同省勧商局の取調主任であった神鞭知常を中心にその立案が実施された。その草案については、民間での便否を調査するため、東京商法会議所及び大阪商法会議所へ諮問がなされたところ、大阪商法会議所からは賛成の旨の意見が出された一方で、東京商法会議所からは暖簾と商標の混在等もあって商標登録制度への反対の旨の意見が出されていたとの状況であり、草案作成が困難を伴うものであったことが窺える。そして、その後、所管が内務省から大蔵省へ引き継がれ、内務省の草案に近い案が明治14年2月に大蔵省から太政官へ上申された。この後、上述のとおり、明治14年4月に、商標の所管官庁としても機能する農商務省が設立された。そして、農商務省は、一旦上申がなされた商標条例の下げ渡しを請求し、再度の調査及び草案作成を行うこととした。このころ、東京商法会議所からも商標登録制度への賛成の意見が出ており、高橋是清を中心とする調査及び新案の作成が進められていた。また、高橋是清の自伝によると、上述の神鞭知常から高橋是清への引き継ぎがなされたことが記載されている。作成された条例案は農商務省から太政官へ
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