特許庁における取組第2部特許行政年次報告書2019年版237第10章許が御社の製品と関わりがないのなら、経費どころか1銭も払う必要はないんじゃないですか」ってね。起死回生のための唯一の切り札ですから、そんな少額では譲れませんよ。 「すごい発明ですね」発明協会の支援を受ける アップルと交渉を開始した時点ではまだ、「齋藤特許」は成立していなかった。審査請求に必要な何十万円もの「請求料」を支払う余裕がなかったからだ。だが裁判を起こすには、特許取得は外せない。乾いた雑巾を絞るようにして印紙代を捻出し、審査請求書を提出したが、2カ月後、「拒絶」の通知が届く。困り果てた齋藤氏は、住居がある山梨県の発明協会を頼った。齋藤 発明協会の皆さんは、「世界のアップルが訴訟の相手」ということで驚いていましたが、一致団結して協力してくれました。私一人だったら登山ルートさえ見つけられなかったでしょう。本当は出願前に調査報告書をつくらなければ申請できないのですが、私の窮状を考慮してくれて協会の予算で手続きをしてくれたのです。 山梨県の発明協会だったのがよかったと思います。東京へ行っていたら、あのように心を砕いてもらうのは無理だったでしょう。なにせ大勢の相談者が押し寄せていると思いますので。 アップルとの交渉決裂直後、齋藤氏は、特許訴訟に強い弁護士を探し求め、上山浩一弁護士にたどり着く。上山弁護士は、京都大学で素粒子物理学を専攻した元エンジニア。アップルのライバルであるマイクロソフトの特許侵害訴訟で勝訴判決を得た経験もあった。齋藤 「iPodのクリックホイールの特許を私が持っていて、まだ成立していないのに、アップルがそれを買ってもいいと言うのです」と切り出すと、「それは良い話ですね」とすぐに会ってもらえました。そして「お金がない」と言うと、「成功報酬」で引き受けてくれたのです。 上山先生によれば、自分で特許明細書を作成してアップルと交渉するなどの私のずば抜けた行動力、私の発明に筋の良さを感じたことに加え、「アップルが相手というのが、大きな動機づけになった」とのことでした。特許庁の異例の対応で 「齋藤特許」成立 06年8月、齋藤氏の自宅に特許庁の審査官から電話がかかってきた。この日にいたるまで齋藤氏は、上山弁護士や二人の弁理士の力を借りて、再三の「拒絶」にもめげず手続きを継続し、運命の結果を待っていたのだった。齋藤憲彦(さいとう・のりひこ)1957年東京都生まれ。高校時代に豊沢豊雄著『落第発明』(ダイヤモンド社)に出会ったことから、発明や特許に関する書籍、特許法、判例集等を読み知識を蓄えていく。東海大学海洋学部卒業後、富士通SBC、米ビジネススクール留学等を経て、1984年にポセイドンテクニカルシステムを創業するが数年後に倒産。一時はどん底の生活だったが、発明ノートにアイデアを書き溜め、「接触操作型入力装置」の特許を取得。2013年9月、アップルとの特許訴訟に勝利した。
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