第Ⅴ部 優先権 第1章 パリ条約による優先権
パリ条約による優先権とは、パリ条約の同盟国(第一国)において特許出願した者が、その特許出願の出願書類に記載された内容について他のパリ条約の同盟国(第二国)に特許出願する場合に、新規性、進歩性等の判断に関し、第二国における特許出願について、第一国における出願の日(以下この章において「優先日」という。)に出願されたのと同様の取扱いを受ける権利である。
同一の発明について複数の国に特許出願をする場合は、翻訳等の準備や各国ごとに異なる手続が必要となるため、特許出願等を同時に行うことは出願人にとって負担が大きい。このような出願人の負担を軽減するための制度として、パリ条約は、優先権の制度を設けている(パリ条約第4条AからIまで)。
また、特許法第43条は、パリ条約に基づいて我が国で優先権を主張する手続について規定している。
この章における「日本出願」とは、我が国を「第二国」とする特許出願を意味する。
パリ条約による優先権を主張することができる者は、パリ条約の同盟国の国民(パリ条約第3条の規定により同盟国の国民とみなされる者を含む。)であって、パリ条約の同盟国に正規に特許出願をした者又はその承継人である(同第4条A(1))。
特許を受ける権利を他人に譲渡して自身が第一国に特許出願をしなかった者は、第二国へ通常の特許出願はできても、譲渡したその他人の特許出願を基礎としてパリ条約による優先権を主張することはできない。
パリ条約による優先権の主張を伴う日本出願ができる期間(優先期間)は、優先日から12月である(同第4条C(1)及び(2))。
パリ条約による優先権の主張の基礎とすることができるのは、パリ条約の同盟国で正規にされた国内出願のみである(同第4条A(1)及び(3))。
パリ条約による優先権の主張の基礎とすることができるのは、パリ条約の同盟国における最初の出願のみである(同第4条C(2)及び(4))。これは、最初の出願に記載された発明について、後の出願を基礎として再度(すなわち累積的に)優先権の主張の効果を認めると、実質的に優先期間を延長することになるからである。
優先日から日本出願の出願日までの期間内にされた(ⅰ)他の出願、(ⅱ)発明の公表又は実施若しくは(ⅲ)その他の行為によって、後の出願は不利な取扱いを受けることがない。また、これらの行為は、第三者のいかなる権利をも発生させるものではない(同第4条B)。
パリ条約による優先権はこのような効果を有するので、その効果が認められる場合には、特許法の以下の(ⅰ)から(v)までの実体審査に係る規定の適用にあたっては、優先日をその判断の基準となる日(以下この章において「基準日」という。)として取り扱う。
なお、パリ条約による優先権の主張を伴う特許出願についての、実体審査に係るその他の条文の規定(例えば、第32条、第36条)の適用に当たっては、その特許出願の出願日を基準として判断される。
パリ条約による優先権の主張を伴う特許出願が、第29条の2の「他の出願」として同条の規定が適用される場合については、「第Ⅲ部第3章 拡大先願」の6.1.2を参照。
審査官は、優先日と日本出願の出願日との間に拒絶理由の根拠となり得る先行技術等を発見した場合のみ、優先権の主張の効果が認められるか否かについて判断すれば足りる。パリ条約による優先権の主張の効果が認められるか否かにより、新規性、進歩性等の判断が変わるのは、優先日と日本出願の出願日との間に拒絶理由で引用する可能性のある先行技術等が発見された場合に限られるからである。
審査官は、パリ条約による優先権の主張の効果について判断が容易である場合等に、先行技術調査に先立ってその判断をしてもよい。先行技術調査に先立って優先権の主張の効果について判断をすることで、先行技術調査の時期的範囲が限定されることにより、効率的な審査に資する場合もあるからである。
審査官は、パリ条約による優先権の主張の効果について、原則として請求項ごとに判断する。ただし、一の請求項において発明特定事項が選択肢で表現されている場合は、審査官は、各選択肢に基づいて把握される発明についてパリ条約による優先権の主張の効果を判断する。さらに、新たに実施の形態が追加されている場合には、審査官は、請求項に係る発明のうち、新たに追加された実施の形態に対応する部分について、それ以外の部分とは別にパリ条約による優先権の主張の効果を判断する。
日本出願の明細書、特許請求の範囲及び図面が第一国出願(注)について補正されたものであると仮定した場合において、その補正がされたことにより、日本出願の請求項に係る発明が、「第一国出願の出願書類全体に記載した事項」との関係において、新規事項の追加されたものとなる場合には、パリ条約による優先権の主張の効果が認められない。すなわち、当該補正が、請求項に係る発明に、「第一国出願書類全体に記載した事項」との関係において、新たな技術的事項を導入するものであった場合には、優先権の主張の効果が認められない。
ここで、「第一国出願の出願書類全体に記載した事項」とは、当業者によって、第一国出願の出願書類全体の記載を総合することにより導かれる技術的事項である。
(注)第一国出願は、「最初の出願」(2.3.2参照)でなければならないことに審査官は留意する。「最初の出願」であるか否かが問題になる例として、3.3、5.4.1及び5.4.2を参照。
日本出願の請求項に、第一国出願の出願書類の全体に記載されていない発明特定事項を記載することにより、日本出願の請求項に係る発明が、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項との関係において、新規事項の追加されたものとなる場合には、パリ条約による優先権の主張の効果は認められない。例えば、以下の場合がこれに該当する。
第一国出願の出願書類の全体には記載されていない事項(新たな実施の形態等)を日本出願の出願書類の全体に記載する、記載されていた事項を削除(発明特定事項の一部の削除等)する等の結果、日本出願の請求項に係る発明に、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項の範囲を超える部分が含まれることになる場合は、その部分については、パリ条約による優先権の主張の効果は認められない。
なお、この類型に関しては、以下の点に留意する必要がある。
例:第一国出願の出願書類の全体の記載から実施可能であった発明に新たに実施の形態が追加された結果、日本出願の請求項に係る発明に、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項の範囲を超える部分が含まれることになる場合の例
第一国出願の請求項に係る発明がミラー角度調整手段を含む光走査装置であって、その実施の形態として、ネジによりミラー角度を調整する光走査装置のみが記載されている。
日本出願の請求項に係る発明は、第一国出願の請求項に係る発明と文言上同じくミラー角度調整手段を含む光走査装置であるが、実施の形態として、ミラーを圧電素子により自動調整する光走査装置が新たに追加された。
日本出願の請求項に係る発明のうち、ミラーを圧電素子により自動調整する光走査装置に対応する部分については、優先権の主張の効果が認められない。第一国出願の出願書類の全体に記載した事項の範囲内のものについてのみ優先権の主張の効果が認められる。
この例の場合は、第一国出願の出願書類の全体には、ミラーを圧電素子により自動調整する実施の形態は記載されていない。この実施の形態を追加したことにより、日本出願の請求項に係る発明が、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項との関係において、新規事項の追加されたものとなる。したがって、この新規事項の追加された部分については、優先権の主張の効果が認められない。
第一国出願の出願書類の全体の記載に基づいて当業者が実施をすることができなかった発明が、実施の形態の追加や生物学的材料の寄託等により実施をすることができるものとなった場合は、日本出願の請求項に係る発明が、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項との関係において、新規事項の追加されたものとなる。したがって、パリ条約による優先権の主張の効果は認められない。優先日から日本出願の出願日までの間の技術常識の変化により、日本出願の請求項に係る発明が、実施可能となった場合も同様に扱う。
日本出願には、第一国出願に含まれていなかった構成部分が含まれる場合がある。パリ条約は、このような場合にも、第一国出願に含まれている構成部分について、優先権を主張することを認めている(第4条F。いわゆる「部分優先」)。
また、複数の第一国出願をそれぞれ基礎としてパリ条約による優先権を主張して出願することもできる(第4条F。いわゆる「複合優先」)。なお、複数の第一国出願には、同一国に複数の出願がなされている場合だけではなく、二以上の異なる国に対する複数の出願がなされている場合も含まれる。
このような場合のパリ条約による優先権の主張の効果については、3.2.1及び3.2.2に従って判断する。
審査官は、日本出願の一部の請求項又は選択肢に係る発明のうち第一国出願に記載されている部分について、対応する第一国出願に基づくパリ条約による優先権の主張の効果の有無を判断する。
例:日本出願の請求項に係る発明の、一部の選択肢が第一国出願の出願書類の全体に記載されている場合の例
第一国出願の請求項に係る発明はアルコールの炭素数が1~5であることを含むもので、その出願書類の全体にはアルコールの炭素数が1~5のものの実施の形態のみが記載されている。
日本出願の請求項に係る発明は、アルコールの炭素数が1~10であることを含むものである。
日本出願の請求項に係る発明のうち、アルコールの炭素数が1~5の部分については、第一国出願の出願書類の全体に記載されているから、優先権の主張の効果が認められる。他方、アルコールの炭素数が6~10の部分については、第一国出願の出願書類の全体に記載した事項との関係において、新規事項の追加に該当するものであるから、優先権の主張の効果が認められない。
この場合には、審査官は、各請求項又は選択肢ごとに、対応する第一国出願に基づくパリ条約による優先権の主張の効果の有無を判断する。
例:複数の第一国出願に記載されている事項を複合して、日本出願の一の請求項に記載する場合の例
第一国出願Aの出願書類の全体にはアルコールの炭素数が1~5であることが記載されており、他の第一国出願Bの出願書類の全体にはアルコールの炭素数が6~10であることが記載されている。
第一国出願A及びBの双方に基づく優先権を主張して日本に出願された発明は、アルコールの炭素数が1~10であること(事実上の選択肢(注))を含むものである。
日本出願に係る発明は選択肢を有するので、選択肢ごとに判断を行い、アルコールの炭素数が1~5の部分については第一国出願Aを基礎とする優先権の主張の効果が認められる。アルコールの炭素数が6~10の部分については第一国出願Bを基礎とする優先権の主張の効果が認められる。
(注)「第Ⅲ部第2章第3節 新規性・進歩性の審査の進め方」の4.1.1(注1)を参照。
この場合には、審査官は、その発明特定事項が記載されている第一国出願のうち最先のものの出願日を基準日として審査する(ただし、最先の出願がパリ条約による優先権の主張の基礎とされていない場合は、3.3を参照。)。
この場合には、いずれの出願に基づく優先権の主張の効果も認められない。
例:日本出願の請求項に係る発明が、第一国出願のいずれにも記載されていない場合の例
第一国出願Aの出願書類の全体には「温度センサーと、温度センサーからの信号を受けて遮光幕を開閉する遮光幕開閉機構とを備えた温室」が記載されており、他の第一国出願Bの出願書類の全体には「湿度センサーと、湿度センサーからの信号を受けて換気窓を開閉する換気窓開閉機構とを備えた温室」が記載されている。
第一国出願A及びBの双方に基づく優先権を主張してなされた日本出願の請求項に係る発明が「温度センサーと、温度センサーからの信号を受けて換気窓を開閉する換気窓開閉機構とを備えた温室」に関するものである。
温度センサーと、温度センサーからの信号を受けて換気窓を開閉する換気窓開閉機構とを備えた温室は、第一国出願A又はBのいずれの出願書類の全体にも記載されておらず、新規事項に該当するものである。したがって、いずれの出願に基づく優先権の主張の効果も認められない。
本願のパリ条約による優先権の基礎とされた先の出願(第二の出願)が、その出願の前になされた出願(第一の出願)に基づく優先権の主張を伴っている場合は、第二の出願の出願書類の全体に記載された事項のうち第一の出願の出願書類の全体に既に記載されている部分については優先権の主張の効果は認められない。第二の出願の出願書類の全体に記載された事項のうち、第一の出願の出願書類の全体に記載された部分に対しては、第二の出願はパリ条約第4条C(2)にいう「最初の出願」ではないからである。したがって、第二の出願を優先権の基礎とした場合は、第一の出願の出願書類の全体に記載されていない部分のみについてパリ条約による優先権の主張の効果が認められる。なお、日本出願において、第一の出願を基礎とするパリ条約による優先権も主張されている場合は、3.2.2(2)を参照。
パリ条約による優先権の主張の効果が認められないために、拒絶の理由が生じた場合には、審査官は、拒絶理由通知において、請求項を特定し、パリ条約による優先権の主張の効果が認められない旨及びその理由を記載する。なお、一の請求項のうちの一部についてパリ条約による優先権の主張の効果が認められないために、その請求項が拒絶理由を有している場合には、その部分を特定した上で、優先権の主張の効果が認められない旨及びその理由を記載する。
拒絶理由通知に対して意見書が提出され、又は明細書、特許請求の範囲若しくは図面の補正がされた場合は、審査官は、改めてパリ条約による優先権の主張の効果の有無について判断する。
パリ条約による優先権の主張を伴う日本出願の分割出願については、原出願において主張したパリ条約による優先権が主張されたものとみなされる(パリ条約第4条G)。もとの特許出願について提出された優先権を証明する書面又は書類(電磁的方法により提供されたものを含む。)は、新たな特許出願と同時に特許庁長官に提出されたものとみなされるからである(特許法第44条第4項)。変更出願についても同様である(同第46条第6項)。
以下の(ⅰ)から(iv)までのいずれの優先権も、パリ条約の例により、その主張が認められる。
これらの優先権の主張を伴う出願については、パリ条約による優先権の主張を伴う日本出願の場合と同様に、3.及び4.に従って取り扱う。
日本にされた国内出願を優先権の主張の基礎とした国際出願が、日本を指定国として含む場合(いわゆる「自己指定」の場合)は、日本の指定に係る部分については、国内優先権(我が国にした出願に基づく優先権)を主張することができる(特許協力条約(PCT)第8条(2)(b))。他方、我が国及び他のPCT締約国を指定国とする国際出願を優先権の主張の基礎とした国際出願が日本を指定国として含む場合は、日本の指定に係る部分については、パリ条約による優先権を主張することができる(同第8条(2)(a))。
優先権の主張の基礎となる 先の出願 |
優先権の主張を伴う 後の出願 |
主張することができる 優先権 |
---|---|---|
国内出願 | 我が国を指定国に含む国際出願 (自己指定) |
国内優先権 |
日本及び他国を指定した 国際出願 |
国内出願 | 国内優先権又はパリ条約による優先権 (出願人の選択) |
我が国を指定国に含む 国際出願 |
パリ条約による優先権 |
第一国における分割出願又は変更出願を基礎としてパリ条約による優先権の主張をし、日本出願がされている場合には、その分割出願又は変更出願の出願書類の全体に記載された事項のうち、原出願の出願書類の全体に記載されている事項については、その分割出願又は変更出願が「最初の出願」とはならない。分割出願又は変更出願とその原出願との両者に基づいてパリ条約による優先権の主張がされている場合は、審査官は、3.2.2(2)に準じて判断する。
米国における一部継続(CIP:continuation-in-part)出願を基礎としてパリ条約による優先権の主張をし、日本出願がされている場合には、一部継続出願の出願書類の全体に記載された事項のうち、その原出願の出願書類の全体に記載されている事項については、その継続出願が「最初の出願」とはならない。一部継続出願と原出願の両者に基づいてパリ条約による優先権の主張がされている場合は、審査官は、3.2.2(2)に準じて判断する。
米国、英国、豪州で採用されている仮出願(provisional application, provisional specification)制度における仮出願は、これらの国において正規の国内出願(パリ条約第4条A(2)及び(3))とされていることから、パリ条約による優先権の主張の基礎とすることができる。