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産業財産権制度の歴史

■年表 ■十大発明家

(1)特許(実用新案)制度の歴史

中世ヨーロッパにおいて、先見の明のある国王や政治家が報償又は恩恵の手段として特権を付与することがありましたが、あくまでも制度として確立していた訳ではありませんでした。近代特許制度は、中世ベニスで誕生し、イギリスで発展したといわれています。

ベニス共和国

1443年には、発明に対して、特許が与えられたとされますが、1474年、世界最古の成文特許法として「発明者条例」が公布されました。

イギリス

1624年、「専売条例」が成文特許法として制定され、これにより今日に至る特許制度の基本的な考え方が明確化されたとされています。

アメリカ

イギリスから独立したアメリカにおいては、自主的な特許制度の確立が課題であり、1787年の連邦憲法の制定においては、「議会は・・・科学及び有用な技術の進歩を図るため・・・発明者に対し・・・一定の期間、独占を与える権限を有する」との規定が設けられました。この憲法の規定に基づいて、1790年、特許法が制定されました

フランス

1791年、最初の特許法が制定されましたが、無審査主義を採用している点に特色があります。

ドイツ

1877年、世界で最初の審査公告主義を採用したドイツ統一特許法が制定されました。

トルコ

トルコではオスマン帝国時代の1879年に発明を保護するために特許法が制定されました。この法律は1844年に制定されたフランスの法律に基づいて、無審査主義を採用しています。

我が国では、明治維新後、近代化が急務との観点から、特許制度整備の必要性が認識され、明治18年(1885年)4月18日「専売特許条例」が公布されました。また、明治38年(1905年)には、特許制度を補完するため、実用新案法が制定されました。

江戸時代

江戸時代には、新しい事物の出現を忌避する傾向があったといわれており、享保6年(1721年)に公布された「新規法度」のお触れは、「新製品を作ることは一切まかりならぬ」というものでした。

専売略規則

開国により欧米の特許制度が紹介され、明治4年(1871年)我が国最初の特許法である専売略規則が公布されました。しかしながら、当時の国民は特許制度を理解し利用するに至らず、当局においても運用上の問題が生じたため、翌年その施行は中止されました。

専売特許条例

その後、特許制度整備の必要性が再認識される一方で、近代化の実を示す必要があったため、高橋是清初代専売特許所長の尽力により、明治18年「専売特許条例」が公布されました。特許第1号は、明治18年7月1日東京府堀田瑞松により出願された「堀田式錆止塗料とその塗法」でした。

現行法に至るまで

以後、順次特許制度が整備されるとともに、明治38年には実用新案法が整備されました。大正10年の改正では、それまでの先発明主義から先願主義に移行し、その後、昭和34年にこの大正10年法が全面的に改正され、現行特許法、現行実用新案法となりました。

(2)意匠制度の歴史

意匠に関する保護の法制度は、1711年フランスのリヨンの執政官が絹織物業界における図案の保護を目的として発した命令に始まるとされています。我が国における意匠の保護は、明治21年(1888年)の意匠条例に始まりました。以後数次の改正のうえ、昭和34年(1959年)に特許法と同時に全面改正された意匠法が現行の意匠法です。

イタリア

1580年、フィレンツェの織物組合の規則では、新規の意匠考案者には、2年間これを専用する権利を付与することとしていました。

イギリス

1787年、意匠保護の条例を制定し、織物意匠に2か月間の専用権を付与することとしました。

アメリカ

アメリカにおいて意匠の保護が始まったのは1842年でしたが、単独の意匠法ではなく、特許法の一部として規定されました。

ドイツ

1876年、「意匠又は模型の考案に関する法律」が成立しました。

我が国の第1号

我が国の意匠第1号は、明治22年(1889年)、栃木県足利市の須永由兵衛による織物縞の意匠でした。

(3)商標制度の歴史

商標は、当初イギリスやアメリカで普通法により、詐欺に対して保護されていましたが、1857年にフランスで「製造標及び商業標に関する法律」が制定されたのが最初でした。

我が国では、「専売特許条例」が公布される前年の明治17年(1884年)6月7日に最初の商標法である「商標条例」が制定されました。以後特許法同様数次の改正が行われ、昭和34年の全部改正により現行商標法となりました。

商人標

中世ヨーロッパにおいて、線状の図形やモノグラム等で構成された商人標と呼ばれるものが普及していましたが、その機能は主として所有権を立証することにありました。

生産標

都市国家においてギルドの加入者を統制する手段として生産標が手工業者間の製品に使用されましたが、これは責任の所在を明確化するということを目的とするものでした。

イギリス

1862年、虚偽表示を禁止する商品標法が制定された後、1875年、先使用主義を明らかにした商標登録法が成立しました。

アメリカ

1870年、始めて連邦法として商標登録に関する統一的立法が制定されました。

ドイツ

1874年、無審査主義に基づく商標保護法が制定されましたが、1894年には審査主義に変更されました。

トルコ

トルコではオスマン帝国時代の1871年にDistinctive Signs Actという商標を保護する法律が制定されました。この法律は無審査主義を採用しています。

我が国の第1号

我が国の商標第1号は、明治18年(1885年)、京都府の平井祐喜による膏薬丸薬の商標でした。

[更新日 2010年9月30日]