ここから本文です。
あのとき、あの知財
大ヒットの裏側を探る!
日本初のプレーンヨーグルトは、ブルガリア伝統の味を忠実に再現。製品名に「ブルガリア」を冠するのは、ブルガリア政府公認の証。
発売:1973年
特許 第3644505号 / 特許 第3666871号 / 登録商標 第1680745号 / ほか
※商標権者は明治ホールディングス(株)
ヒットのワケ
1971年、日本初のプレーンヨーグルト『明治プレーンヨーグルト』を発売。発売当初は世の中にプレーンヨーグルトが存在せず、「ヨーグルトは甘いもの」という認識が浸透していたため、酸味の強い味わいは苦戦を強いられる。その後『ブルガリア』の国名を商品名に明記したことで、「すっぱい」ヨーグルトこそ“本場の味”であるという、ヨーグルトへの認識の変化を促すことに成功した。
時は1970年。高度経済成長期とはいえ、日本でのヨーグルト文化はまだまだ未成熟であった頃。大阪万博のブルガリア館で、当時のスタッフが本場のプレーンヨーグルトを試食したことをきっかけに、日本のヨーグルト文化は大きな転換期を迎える。
「本場のヨーグルトを日本の食卓に広めたい」という熱い想いから、持ち帰ったヨーグルトの乳酸菌をもとに研究し、試作を重ねて完成したのが日本で最初のプレーンヨーグルト『明治プレーンヨーグルト』だ。
1971年の発売当初、当時のヨーグルトはゼラチンや寒天で固められ、甘く味付けされたものが主流であった。独特の香りと酸味のプレーンヨーグルトは消費者にとって異質のものと受け止められ、売れ行きはいまいち伸び悩んだという。
1971年発売時、同社は商品名に「ブルガリア」を使用することについてブルガリア大使館にかけ合ったが、断られていた。ブルガリアは長い歴史のなかで、独自の文化の一つであるヨーグルトを誇りとして大切にしており、作った商品に自国の冠を与えるようなことはほぼあり得なかった。しかし、発売後も本場の本物のヨーグルトであることを伝えるために、国名使用が不可欠と再認識した同社は粘り強く交渉を続けた。徹底した品質管理や生産設備を実際に見学してもらい、何度も試作品を大使館に持ち込むなど交渉を続けること1年あまり、ついに国名使用の許可を取得した。
1973年に念願叶い『明治ブルガリアヨーグルト』として名称を変更し、世に送り出された。
テレビCMだけでなく、ブルガリアをイメージした民族衣装を着た販売促進員が効果的にムードを盛り上げるなどのプロモーションが功を奏し、多くの人が本場の味として認識したおかげで、名称変更後の数年は二桁成長を遂げるほどの成功を果たす。
ヨーグルトの品質は、原材料、乳酸菌、製造方法等によって決まり、新たな商品開発を行う際にはそれらの要因を見直すことが一般的である。同社は、ヨーグルトらしいさわやかな香りを作り出す本場ブルガリアのLB81乳酸菌に拘り、製造方法で人の知覚する「味」を変えるという、画期的な特許技術を開発した。それは、口当たりを滑らかにし、人が知覚する酸味を抑える「低温発酵」技術と、それにより、ヨーグルトの発酵が大幅に遅くなる課題とヨーグルトが崩れやすくなるという課題を解決する「脱酸素発酵」という技術を組み合わせたものだった。まろやかでコクがあり、しっかりと固まったヨーグルトを製造するこの「まろやか丹念発酵」という技術(2005年に特許権取得) は、2004年から同社の複数のヨーグルト商品で実用化、2014年に満を持して会社を代表する商品「明治ブルガリアヨーグルトLB81プレーン」の改良技術として採用された。
ブルガリアの伝統的な味を守りつつ、新しい技術を組み込むことで、知財の面からも商品の強化に成功したのである。