欧州共同体 生物工学発明に関する指令
前文
欧州議会及び欧州連合理事会は,
欧州共同体設立条約,及び特に,その第100a条を尊重し,
委員会からの提案を尊重し,
経済及び社会委員会の意見を尊重して,
同条約第189b条に規定された手続に従って活動し,
- (1) 生物工学(biotechnology)及び遺伝子工学(genetic engineering)が広範な産業分野で演じる役割は益々重要性を増しており,今後,生物工学上の発明の保護が欧州共同体の産業発展にとって根本的に重要な事項になることは間違いない。
- (2) 特に遺伝子工学分野では,研究・開発に多額の高リスク投資を要し,それ故十分な法的保護を得て初めて利益が期待できるものである。
- (3) 生物工学の分野で投資を維持,奨励するためには加盟国全域にわたる有効かつ調和した保護が不可欠である。
- (4) 生物工学上の発明の法的保護に関する欧州議会・理事会指令の調停委員会が承認した共同原案を欧州議会が否認したのを受けて,欧州議会と理事会は,生物工学上の発明の法的保護を明確化する必要があるとの結論に達した。
- (5) 生物工学上の発明に対し加盟各国の法律及び慣行で与えられている法的保護には相違がある。かかる相違は貿易に障壁を築き,それ故域内市場が正しく機能するのを妨げる虞がある。
- (6) かかる相違は,加盟国が新規の様々な制定法や行政慣行を採用するのに伴い,より大きくなる虞がある。或いはかかる制定法を解釈する国内判例法が異なる展開を示す。
- (7) 欧州共同体内で生物工学上の発明の法的保護に関する各国法律が調和して働かないと,かかる発明の産業的開発や域内市場の円滑な展開を害し,交易への意欲をそぐもとになり兼ねない。
- (8) 生物工学上の発明の法的保護には,必ずしも各国特許法の諸規則に代わる別の法体系を作る必要はない。生物学的素材に関わり,かつ特許性の要件も満たす技術開発を十分考慮するために特定の点で修正や補完をしなければならないことを前提として,各国特許法の諸規則が生物工学上の発明の法的保護のための肝要な基準であることに変わりはない。
- (9) 植物品種又は動物種及び植物又は動物の生産のための本質的に生物学的方法が特許の対象から除外されるなど,場合によって,国際特許条約及び植物品種条約に基づく国内法上の概念が,生物工学上の発明や一部の微生物学上の発明の保護に関し不確かさを生んできた。この不確かさを明確にするために調和化が必要である。
- (10) 環境を守る生物工学開発の可能性,特に,土壌に利用する場合,汚染が少なく,より経済的な栽培方法の開発に向けたこの技術の有用性に留意する。特許制度は,こうした方法の研究や出願を奨励するために利用されるべきである。
- (11) 開発途上国にとって,健康及び大きな疫病,風土病の撲滅という面でも,世界の飢餓の撲滅という面でも生物工学の開発は重要である。この分野での研究を奨励するためにも同様に特許制度を利用すべきである。こうした技術を第3世界に普及させ,当該地域住民を助けるための国際的手続を進める必要がある。
- (12) 欧州共同体と加盟国が署名したTRIPS協定は発効し,あらゆる技術分野の製品と方法について特許権保護が保証されなければならないことが規定されている。
- (13) 生物工学上の発明を保護する欧州共同体の法的枠組は,生物学的素材の特許性に適用されるものとして一定原則を規定することに限定される可能性があり,かかる一定原則が特に意図しているのは,次の点に関して発明と発見の相違を確定することである。人体に由来する要素の特許性,生物科学上の発明に関して特許で与えられる保護の範囲,明細書の記載に加えて寄託制度を利用する権利,そして,最後に植物品種と発明及びその逆関係の相互依存に関して非排他的な強制ライセンスを取得する選択権。
- (14) 発明の特許は,特許権者にその発明を実施する権限を与えるものではなく,第三者にそれを産業及び商業目的に実施することを禁じる権利を特許権者に付与するに過ぎない。従って,実体的特許法は,公衆衛生,安全,環境保護,動物愛護,遺伝的多様性の保存,倫理基準の遵守という要件の観点から制限又は禁止を課したり,その結果の調査及び利用又は営利化の監視に関わったりする国内,欧州若しくは国際間の不適切な法律に取って代わることや,これを放棄することはできない。
- (15) 国内法又は欧州特許法(ミュンヘン協定)において,生物学的事項の特許性を先験的に排除する禁止又は除外の条項は存在しない。
- (16) 特許法は,人間の尊厳と完全性を擁護する基本原則を尊重して適用されなければならない。人体については,生殖細胞を含めその形成や発達のどの段階であれ,また,ヒト遺伝子の配列や部分的配列を含めて人体の要素又はその生成物の1つの単なる発見についても,特許を受けることができないという原則の擁護が重要である。この原則は特許法に適った特許性の基準に沿っており,それによって単なる発見は特許を受けることができない。
- (17) 人体から取り出された要素に由来する医薬品や別の方法で作られた医薬品の存在により,病気の治療は既に著しい進歩を遂げている。この種の医薬品は,人体に自然に存在する要素と似た構造の要素を得ることを目指した技術方法から生まれたものであり,従って医薬品製造に有益なこうした要素を得たり,取り出すことを目的とした研究は,特許性により奨励されるべきである。
(18) 特許制度は,珍しい病気及び「見捨てられた」病気との戦いを要する生物工学上の医薬品の研究及び製造を奨励する誘因としては不十分なため,欧州共同体及び加盟国はこの問題に適切な対応をする義務がある。
- (19) 「生物工学の倫理的意味に関する欧州委員会諮問グループ」の意見No.8が考慮されている。
- (20) 従って,人体から取り出された,或いは技術方法により作り出された要素に基づく発明で,産業的応用が可能なものは,その要素の構造が天然の要素と同一である場合でも,特許の対象から外されないことを明確にする必要がある。ただし,特許により与えられる権利は,人体及び自然環境にある要素に及ばないことを前提とする。
- (21) 人体から取り出したり,別の方法で作り出された要素は,例えば,それを特定,純化,分類し,体外で繁殖させる技術方法の結果であり,人間だけが実施することができ,自然の力だけでは達成することのできない技術の産物である以上,特許の対象から外されない。
- (22) 遺伝子の配列又は部分的配列の特許性については賛否両論がある。本指令に従えば,遺伝子の配列又は部分的配列に関する発明の特許の付与は,他のあらゆる技術分野と同じ特許性の基準,すなわち新規性,進歩性,産業上の利用性を適用すべきである。遺伝子の配列又は部分的配列の産業上の利用は,特許を出願する際に開示しなければならない。
- (23) 機能の特定を伴わない単なるDNA配列は,技術情報を含まないので特許性のある発明ではない。
- (24) 産業上の利用可能性という基準に適合するためには,遺伝子の配列又は部分的配列が蛋白質や蛋白質の一部を作るのに使われる場合は,どの蛋白質やどの蛋白質の部分を作るのか,又はそれが果たす機能がどのようなものかを特定する必要がある。
- (25) 特許により与えられる権利の解釈において,発明に本質的でない部分のみで配列が重なる場合は,特許法の条件から各配列は,独立した配列とみなされる。
- (26) 発明がヒト由来の生物学的素材に基づいている場合,又はその種の素材を使用している場合で,特許を出願する場合は,身体から素材を提供する人には,国の法律に従って,それに対する自由かつ十分に知らされた上での同意を表明する機会を与えられなければならない。
- (27) 発明が植物又は動物由来の生物学的素材に基づいている場合,又はその種の素材を使用している場合は,特許出願には,適切であれば,その素材の地理的原産地(知られている場合)についての情報を含める必要がある。これが特許出願の手続又は特許の付与から生じる権利の有効性を損なうことはない。
- (28) 本指令は,特許された生産物の新規の応用に対して特許を認可することができる現行特許法の根拠に何らの影響を与えるものではない。
- (29) 本指令は植物品種及び動物種を特許の対象から除外する規定を損なうものではない。これに対し,植物又は動物に関わる発明は,その発明の応用が技術的に単一の植物品種又は動物種に限らないことを条件に特許を取得し得る。
- (30) 「植物品種」の概念は,新品種を保護する法律で定義されており,それによれば,品種とは,その全ゲノム(genome)によって決定され,従って,個性を有し,他の品種とはっきり区別できるものである。
- (31) 特定の遺伝子(全ゲノムではない。)により特徴づける植物群は,新品種の保護でカバーされておらず,従って,それが植物の新規品種を含む場合も,特許の対象から外されない。
- (32) ただし,発明が,単に特定の植物品種を遺伝子によって変性させるだけのもので新品種の植物が作り出される場合は,その遺伝子変性が本質的に生物学的方法の結果でなく,生物工学的方法の結果である場合でも,その発明はやはり特許の対象から外されることになる。
- (33) 本指令の適用上,植物や動物を作り出す方法が本質的に生物学的であるというのはどのような場合かを定義する必要がある。
- (34) 本指令は各国内,欧州共同体,国際間の特許法により打ち出されている発明及び発見の概念を傷付けないものとする。
- (35) 本指令は,ヒト又は動物の体に対して行われる手術或いは療法及び診断法によりヒト又は動物を治療する方法を特許の対象から外している各国特許法の規定を侵害しないものとする。
- (36) TRIPS協定は,発明について,世界貿易機構の加盟国が人間や動物又は植物の生命や健康を保護したり,環境への重大な損害を避けることを含めて,公序良俗を保護する上で発明の商業上の実施を妨げる必要がある場合は,各領域内でその発明を特許の対象から外す可能性を規定している。ただし,自国の法律で実施が禁じられているという理由だけで除外しないことが条件となっている。
- (37) 発明の商業上の実施が公序良俗に反する場合に,その発明を特許の対象から外さなければならないという原則は,本指令でも強調されなければならない。
- (38) 本指令の効力を発生する部分には,各国の裁判所や特許庁に公序良俗の基準を解釈する上の一般的指針を与えるため,特許の対象外とされた発明の実例一覧も含める必要がある。この一覧は明らかに,実例を完全に網羅したものとみなすことができない。その使用がヒトの尊厳を傷付けるような技術,例えば,ヒトや動物の生殖細胞や全能細胞からキメラ(chimera)を作る技術なども明らかに特許の対象から外される。
- (39) 公序良俗は特に,各加盟国で認められている倫理又は道徳の原理と符合し,生物工学の分野でそれを守ることは,この分野での発明の潜在的範囲及び生物との特有の関係に鑑みて特に重要である。こうした倫理又は道徳原則は,発明の技術的分野を問わず,特許法に基づく標準的な法的審査を補うものである。
- (40) ヒトの生殖細胞への介入やクローン形成が公序良俗に反するという全体の合意が共同体内にはある。従って,ヒトの生殖細胞系遺伝的同一性を変性させたり,ヒトのクローンを形成する技術を明白に特許の対象外とすることが重要である。
- (41) ヒトのクローニング方法は,他の生物や死んだ人間と同じ核遺伝子情報を有する人間を作ることを意図した,胚分裂技術などと同じ技術と定義してよい。
- (42) 更に,ヒトの胚を産業又は商業目的に使用することも特許の対象から外さなければならない。かかる除外は,ヒトの胚に適用され,その助けになる治療又は診断目的の発明に影響を及ぼさない。
- (43) 欧州連合条約第F条(2)に従い,連合は基本的権利を守る必要がある。これらは,1950年11月4日にローマで調印された「人権と基本的自由を守る欧州条約」で保証され,加盟国に共通する憲法上の伝統から,共同体法の一般原則として生じたものである。
- (44) 委員会の「科学・新技術の倫理に関する欧州グループ」が生物工学のあらゆる倫理面を評価する。この点について,同グループに諮るのは,特許法について諮る場合など,生物工学を基本的な倫理原則の水準で評価する場合に限ることを明らかにする必要がある。
- (45) 動物を害する虞があり,研究,予防,診断,治療の点でヒトや動物に重要な医学的利益をもたらさない遺伝的同一性を変性させ,結果的に動物をも変性させる技術は,特許の対象から外さなければならない。
- (46) 特許の目的が,発明者に排他的であるが期間に拘束される権利を与えることによって,その創造的努力に報い,それにより発明活動を奨励することにあるという事実に鑑みて,特許権者は,特許を受けた非自己増殖製品の使用を禁止することが認められる筈の情況と似た状況で,特許を受けた自己増殖製品の使用を禁じる,即ち特許製品自体の生産を禁じる権利を与えられるべきである。
- (47) 特許権者の権利が最初に効力減殺を受けるのは,保護された発明に組み込まれた繁殖用素材が特許権者から,又はその同意を得て,農業目的で農業者に販売される時とする規定が必要である。その最初の効力減殺では,当該農業者に,収穫した産物を自らの農場で更に増殖又は繁殖させる目的で使用する権限を与えなければならない。その効力減殺の範囲及び条件は,1994年7月27日付の「共同体植物品種権利に関する理事会規則(EC)No.2100/94」に定める範囲及び条件に従い制限する必要がある。
- (48) 植物品種権利に関する共同体法に基づき,共同体植物品種権利の効力減殺を適用する条件として予期される料金のみを当該農業者に請求することができる。
- (49) ただし,特許権者は,効力減殺を濫用する農業者又は特許保護対象の発明を組み込んだ植物品種を開発した繁殖家に対し,後者がその約束の堅持を怠った場合は,自身の権利を守ることができる。
(50) 特許権者の権利の第2の効力減殺では,農業者に特許保護対象の家畜を農業目的で使用し得る権限を与えなければならない。
- (51) 第2の効力減殺の範囲及び条件は,共同体には動物品種権利に関する法律が存在しないため,国内法,規則及び慣行により決定しなければならない。
- (52) 遺伝子工学から生じた新しい植物特性を利用する分野では,関係する属若しくは種に関連して,当該植物品種が,特許で権利主張されている発明に比して,顕著な経済的利益のある重要な技術進歩を意味している場合は,料金の支払を条件に,保証付きの権利の取得が,強制ライセンスの形で認められなければならない。
- (53) 遺伝子工学における新しい植物特性を使用する分野では,当該発明が顕著な経済的利益の重要な技術進歩を意味する場合は,手数料の支払を条件に,強制ライセンスの形で保証付きアクセスが認められなければならない。
- (54) TRIPS協定第34条は,全加盟国を拘束する立証責任についての詳細な条項がある。従って本指令に条項を設ける必要はない。
- (55) 共同体は,決定93/626/EECを受けて,1992年6月5日の「生物の多様性条約」の当事者になっている。この点から,加盟国は,本指令に従うために必要な法律,規則及び行政規定を施行する場合は,同条約第3条及び第8条(j),第16条(2)第2文,及び第16条(5)を特に重視しなければならない。
- (56) 1996年11月に開かれた「生物の多様性条約」第3回当事国会議は,決定III/17の中で「知的財産,TRIPS協定及び生物の多様性条約の関連条項との関係,特に技術移転及び生物の多様性の保全及び継続的利用,及び遺伝子資源の利用から得られる利益の公平かつ公正な分配に関する知識の保護,生物の多様性の保全と継続的利用に関連する伝統的な生活様式を具体化する土着的地域社会の刷新と慣習を含む問題に共通の認識を打ち出せるよう一層の努力が必要である。」と述べている。
以上の理由により本指令を採択した。
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