第Ⅳ部 明細書、特許請求の範囲又は図面の補正 第2章 新規事項を追加する補正
特許法は、明細書等について補正をすることを許容している(「第1章 補正の要件」の1. 参照)。しかし、補正は出願時に遡って効力を有することから、出願当初の明細書等(以下この部において「当初明細書等」という。)に記載した事項の範囲を超える内容を含む補正を出願後に許容することは、先願主義の原則に反する。
そこで、出願人のために補正を許容する一方、先願主義の原則を実質的に確保し、第三者との利害の調整を図るため、特許法第17条の2第3項は、明細書等の補正について、当初明細書等に記載した事項の範囲内においてしなければならないことを規定している。すなわち、同項は、新規事項を追加してはならないことを規定している。
この規定により、以下の機能が果たされる。
本章では、補正が新規事項を追加するものであるか否かの判断基準を取り扱う。
審査官は、補正が「当初明細書等に記載した事項」との関係において、新たな技術的事項を導入するものであるか否かにより、その補正が新規事項を追加する補正であるか否かを判断する。「当初明細書等に記載した事項」とは、当業者によって、当初明細書等の全ての記載を総合することにより導かれる技術的事項である。
補正が「当初明細書等に記載した事項」との関係において、新たな技術的事項を導入しないものである場合は、その補正は、新規事項を追加する補正でない。他方、補正が新たな技術的事項を導入するものである場合は、その補正は、新規事項を追加する補正である。
審査官は、補正が新規事項を追加する補正であるか否かを、以下の3.1から3.3までに示された補正の類型ごとの判断手法に基づいて判断する。
補正された事項が「当初明細書等に明示的に記載された事項」である場合には、その補正は、新たな技術的事項を導入するものではないから許される。したがって、審査官は、この場合には、補正が新規事項を追加するものでないと判断する。
補正された事項が「当初明細書等の記載から自明な事項」である場合には、当初明細書等に明示的な記載がなくても、その補正は、新たな技術的事項を導入するものではないから許される。したがって、審査官は、この場合には、補正が新規事項を追加するものでないと判断する。
補正された事項が「当初明細書等の記載から自明な事項」といえるためには、当初明細書等の記載に接した当業者であれば、出願時の技術常識に照らして、補正された事項が当初明細書等に記載されているのと同然であると理解する事項でなければならない。審査官は、補正された事項が「当初明細書等の記載から自明な事項」であるか否かを判断するに当たっては、以下の(i)及び(ii)に留意する。
補正された事項が3.1及び3.2のいずれにも該当しない場合であっても、「当初明細書等に記載した事項」との関係において新たな技術的事項を導入するものでなければ、その補正は許される。審査官は、以下の各種の補正ごとに示された、補正が許される場合及び許されない場合も考慮して、補正が新規事項を追加するものであるか否かを判断する。
例えば、削除する事項が発明による課題の解決には関係がなく、任意の付加的な事項であることが当初明細書等の記載から明らかである場合には、この補正により新たな技術上の意義が追加されない場合が多い。
この例では、出願に係る発明の内容は、活性領域の半導体層を特定の構造と材料で構成することにあり、当初の請求項では、たまたま、ソース、ドレインは「不純物拡散領域」で構成されると限定されている。しかし、ソース及びドレインは拡散によるものに限定されず不純物領域でありさえすればよいことが当初明細書等の記載から自明であり、補正は発明の技術上の意義に何ら変更をもたらさない。
なお、上記aからcまでは、発明特定事項を直列的に付加する補正についても同様である。
この例では、当初明細書等に具体例として記載されているのはCD-ROMを対象とする再生装置である。一方、当初明細書等のその他の記載では、請求項に係る発明が記録及び/又は再生装置が動作指令を受けない場合の給電を調節することによりバッテリの電力消費を低減することを目的とした発明であること等が記載されている。よって、当初明細書等のその他の記載内容に照らせば、CD-ROMを対象とする再生装置だけでなく、どのようなディスク記録及び/又は再生装置であっても、適用が可能であることが極めて明らかである。
この例では、当初明細書等には本願発明のコーティング装置の塗布対象がガラス基板、ウエハ等の「ワーク」であることが明示されている。具体例として記載されているのは、ほぼ正方形のワークのみである。しかし、「矩形」は代表的なガラス基板の代表的な形状であることが明らかであるので、「矩形ワーク」とする補正は当初明細書等に記載した事項の範囲内でするものである。
例えば、発明の詳細な説明中に「望ましくは24~25℃」との数値限定が明示的に記載されている場合には、その数値限定を請求項に追加する補正は許される。
また、24℃と25℃の実施例が記載されている場合は、そのことをもって直ちに「24~25℃」の数値限定を追加する補正が許されることにならないが、当初明細書等の記載全体からみて24~25℃の特定の範囲についての言及があったものと認められる場合もある。例えば、24℃と25℃が、課題、効果等の記載からみて、ある連続的な数値範囲の上限、下限等の境界値として記載されていると認められる場合である。このような場合は、実施例のない場合と異なり、数値限定の記載が当初からなされていたものと評価でき、新たな技術的事項を導入するものではない。したがって、このような補正は許される。
「除くクレーム」とは、請求項に記載した事項の記載表現を残したままで、請求項に係る発明に包含される一部の事項のみをその請求項に記載した事項から除外することを明示した請求項をいう。
補正前の請求項に記載した事項の記載表現を残したままで、補正により当初明細書等に記載した事項を除外する「除くクレーム」は、除外した後の「除くクレーム」が新たな技術的事項を導入するものではない場合には、許される。
以下の(i)及び(ii)の「除くクレーム」とする補正は、新たな技術的事項を導入するものではないので、補正は許される。
上記(i)における「除くクレーム」は、第29条第1項第3号、第29条の2又は第39条に係る引用発明である、刊行物等又は先願の明細書等に記載された事項(記載されたに等しい事項を含む。)のみを除外することを明示した請求項である。
上記(i)の「除くクレーム」とする補正は、引用発明の内容となっている特定の事項を除外することによって、補正前の明細書等から導かれる技術的事項に何らかの変更を生じさせるものとはいえない。したがって、このような補正は、新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかである。
なお、「除くクレーム」とすることにより特許を受けることができる発明は、引用発明と技術的思想としては顕著に異なり本来進歩性を有するが、たまたま引用発明と重なるような発明である。引用発明と技術的思想としては顕著に異なる発明ではない場合は、「除くクレーム」とすることによって進歩性欠如の拒絶理由が解消されることはほとんどないと考えられる。
また、「除く」部分が請求項に係る発明の大きな部分を占めたり、多数にわたる場合には、一の請求項から一の発明が明確に把握できないことがあるので、審査官は留意する(「第II部第2章第3節 明確性要件」の2.1(1)参照)。
陽イオンとしてNaイオンを含有する無機塩を主成分とする鉄板洗浄剤。
陰イオンとしてCO3イオンを含有する無機塩を主成分とする鉄板洗浄剤。
(具体例:陽イオンをNaイオンとした例)
このときに、特許請求の範囲から引用発明との重なりを除外する目的で、特許請求の範囲を「陽イオンとしてNaイオンを含有する無機塩(ただし、陰イオンがCO3イオンの場合を除く。)……」とする補正は、許される。
「ヒト」を発明対象から除外することによって、上記拒絶理由を解消する上記(ii)の「除くクレーム」とする補正は、補正前の明細書等から導かれる技術的事項に何らかの変更を生じさせるものとはいえない。したがって、このような補正は新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかである。
配列番号1で表されるDNA配列からなるポリヌクレオチドが体細胞染色体中に導入され、かつ該ポリヌクレオチドが体細胞中で発現している哺乳動物。
この場合は、発明の詳細な説明で「哺乳動物」についてヒトを含まないことを明確にしている場合を除き、「哺乳動物」には、ヒトが含まれる。しかし、ヒト自体をその対象として含む発明は、公の秩序、善良の風俗を害するおそれがある発明に該当し、第32条に違反するものである。
このときに、特許請求の範囲からヒトを除外する目的で、特許請求の範囲を「……非ヒト哺乳動物」とする補正は、当初明細書等にヒトを対象外とすることが記載されていなかったとしても許される。
例えば、補正の結果、出願当初に複数の選択肢を有していた置換基について選択肢が唯一となり、選択の余地がなくなる場合には、そのような特定の選択肢の組合せを採用することが当初明細書等に記載されている場合(下記cの例を参照。)を除き、その補正は許されない。なぜなら、選択肢としての当初の記載は、特定の選択肢の採用を意味していたとは認められないからである。
例えば、当初明細書等に複数の選択肢を有する置換基の組合せの形で化学物質群が記載されていた場合には、当初明細書等に実施例等で記載されていた「単一の化学物質」に対応する特定の選択肢の組合せからなる化学物質(群)の記載のみを請求項に残す補正は許される。
明細書等の中に矛盾する二以上の記載がある場合であって、そのうちのいずれが正しいかが、当初明細書等の記載から、当業者にとって明らかな場合は、その正しい記載に整合させる補正は、新たな技術的事項を導入するものではないので許される。
それ自体では明瞭でない記載であっても、その本来の意味が、当初明細書等の記載から当業者にとって明らかな場合は、これを明瞭化する補正は、新たな技術的事項を導入するものではないので許される。
一般に、発明の具体例を追加する補正は、新たな技術的事項を導入するものであるので許されない。
例えば、複数の成分から成るゴム組成物に係る特許出願において、「特定の成分を追加することもできる」という情報を追加する補正は、一般に、許されない。
同様に、当初明細書等において、特定の弾性支持体を開示することなく、弾性支持体を備えた装置が記載されていた場合において、「弾性支持体としてつるまきバネを使用することができる」という情報を追加する補正は、一般に、許されない。
当初明細書等に記載した事項と関係のない事項又は矛盾する事項を追加する補正は、新たな技術的事項を導入するものであるので許されない。
この例では、当初明細書等には、釣糸を竿管の内部に導入するための管状ガイドを竿管に嵌め込むことを前提として、竿管にその軸長方向に長い長孔を採用することが記載されている。管状ガイドを嵌め込むための長孔として、幅方向に長い長孔は、そもそも採用の余地がないものであるから、幅方向に長い長孔との強度比較をすることは、当初明細書等に記載した事項とは関係がない。よって、補正された事項は、当初明細書等に記載された技術とは無関係であり、この補正は新規事項を追加するものである。
新規事項の判断に係る審査の進め方は、以下のとおりである。審査を進める際は、「第1章 補正の要件」の4. 、「第I部第2章第4節 意見書・補正書等の取扱い」及び「第I部第2章第6節 補正の却下の決定」も参照。
拒絶理由通知、補正の却下の決定等をする際には、審査官は、上記(i)及び(ii)のいずれかに該当すると考える理由を具体的に説明する。
拒絶理由が通知された場合は、出願人は、補正が3.で示された補正が許される態様に該当する等、新たな技術的事項を導入しないものであることを具体的に反論、釈明することができる。これにより、審査官が、その補正が新たな技術的事項を導入しないものであるとの心証を得た場合は、拒絶理由は解消する。そのような心証を得ることができなかった場合は、審査官は、新規事項を追加する補正である旨の拒絶理由に基づく拒絶査定をする。